今夜の直撃!シンソウ坂上は、安藤優子さんがご出演されました。

25年前のクリスマスに、いっつみーこと逸見政孝さんが48歳の若さでこの世を去りました。

「FNNスーパータイム」で逸見さんとコンビを組んでいた安藤優子さんが、逸見さんが他界してからの逸見政孝アナに対する思いを初告白しました。

今回は、坂上忍さんが、直撃!シンソウ坂上で安藤優子さんに直撃インタビューする番組をみて、

逸見政孝さんの人気の秘密や、逸見政孝さんの亡くなった経緯・なぜ胃がんであることを告白する会見を開いたのか?

安藤優子さんとの関係や、安藤優子さんが号泣した涙の理由をお伝えしていきたいと思います。

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逸見政孝アナウンサーについて

逸見政孝さんのプロフィールをご紹介します!

本名 逸見政孝(愛称 いっつみい)
出身地 大阪府大阪市阿倍野区
生年月日 1945年2月16日
没年月日 1993年12月25日(48歳没)
最終学歴 早稲田大学第一文学部
代表出演番組 『クイズ世界はSHOW by ショーバイ!!』『夜も一生けんめい。』『たけし・逸見の平成教育委員会』

元フジテレビアナウンサーで1984年10月に『FNNスーパータイム』の初代メインキャスターをつとめました。

当時のお相手は「幸田シャーミン」さんでしたね。

1987年、生涯アナウンサーでいたいという思いから、20年勤めたフジテレビを退職し、フリーアナウンサーに転向しました。

フリーアナウンサーに転身したあとも1年間『FNNスーパータイム』の司会を担当し、その時のお相手が安藤優子さんでした。

のちに親友のビートたけしさんとの番組、平成教育委員会では、学級委員長と称して学ランでお茶の間を楽しませてくれていましたね!

家では厳格で、寡黙な父親で、ほどんど話をしなかったと長男の太郎さんは話していました。意外ですね。

逸見政孝アナウンサー人気の秘密

逸見政孝アナの人気の秘密はなんだったのでしょうか?

私も当時学生でしたが、やはり逸見さんが人気だったのは、

・彼のかっこよさ
・面白さ
・お茶目さ
・頭の良さ
・真面目さ

だったのでは!!と思います!

茶目っ気もたっぷりで、声や話し方から知性が溢れ出ていた男性でしたよね!

今でも大好き!と言う声もたくさん聞かれています。

逸見政孝さんの亡くなった経緯は?

逸見政孝さんは毎年健康診断を受けはじめて3年目(1993年1月)の検診で、胃がんが早期で見つかったと会見で述べていました。

最初に手術をしたのは、1993年2月。

3週間で仕事復帰。翌日から番組にも出演されていたそうです。

最初の手術の時は、表向きには、嘘の公表で、「十二指腸潰瘍」と病名は偽っていました。

胃の2/3を切除していたそうですが、1993年9月には傷口付近にしこりができてガンが再発。

異例のガン告白会見がおこなわれました。

1993年1月18日 胃がん発見
1993年2月 3週間休養(胃を2/3切除)
1993年9月6日 がん告白会見
1993年12月25日 ご逝去

当時は、ガンであっても本人に告げるのはタブーな時代でしたから、ものすごい衝撃だったのを私は今でも覚えています。

そして、「スキルス胃がん」という進行のとても早いガンの存在を知ったのも、このときがはじめてだった方も多いと思います。

逸見政孝さんの胃がんのステージは?

最初の手術の直後には、奥様には医師から思ったよりもがんが進行していると告げられたそうです。

術後に傷口のあたりからしこりができて、腹膜や腹壁、腸壁への転移を逸見さんご自身で述べていらっしゃいますが、私の家族の場合、腹膜への転移でもってステージⅣと言われましたので、恐らく逸見さんも、同等かそれに近いものだったかもしれませんね。

逸見政孝胃がん告白会見の内容とは?

逸見さんは、ご自分で胃がんであることを告白した会見を開いたのは、1993年9月6日のことでした。

会見は、しっかりとした口調で語られており、時々言葉がつまり、思いを飲み込むような間が何度もありました。

会見中に逸見さんが発した言葉で印象的だった内容や、フレーズをピックアップしてみます。

当時命に限りをつけられる
私の侵されている病名は「がん」です。
迷惑をかける人がいたので、最初、うその病名を発表しました。
今回は嘘を付くことで迷惑をかける人がいるので本当のことをいいます。
人生48年で最大のピンチ
できるだけ正確に自分の口で説明したい
運命だと思っている(不可抗力)
3ヶ月休養してガンと闘う(戦闘宣言)
一年後に亡くなるのは本意ではない。
13年前、弟31歳で胃がんで亡くしている
がんは腹膜・腹壁・腸壁に転移している
3ヶ月には仕事を忘れて闘いにいく
僕は人間ができていないですから、命の期限を告げられるのは、怖いです。
頑張るからどうぞご心配なく

がんである、ということだけでも、辛い状況なのに、余命宣告されたばかりの逸見さんがどれほどの覚悟をもって会見に挑んたのかと思うと、本当に胸が締め付けられてしまいます。

そんな中、気丈に振る舞えたのは、アナウンサーという職業ならでは、しいて言えば逸見さんだからできたことだと思います。

なぜ胃がんであることを告白する会見を開いたのか?

テレビ史に残る前代未聞の会見と言われたこの記者会見。

人気絶頂のアナウンサーが、病気を告白する会見した理由はなんだったのでしょうか?

私の憶測になっていしまいますが、逸見さんが病気をを告白する会見を開いたのは、胃がんを克服してまたテレビに出演されるつもりだったのかもしれませんね。

苦渋の決断だったのかもしれませんが、真面目な逸見さんがウソを付くことや、人生に向き合うということこに対して葛藤があったのでは?と安藤さんは振り返っていました。

安藤さん自身もここまで赤裸々に病状を話す会見になるとは思っていなかったし、知らされてもいなかったそうです。

逸見政孝さんと安藤優子さんとの関係は?

逸見政孝さんと安藤優子さんはニュースでキャスターを務めた間柄です。

逸見さんは、安藤優子さんの育ての親、おふたりは師弟関係でした。

逸見さんを先輩と慕う安藤アナウンサーは、逸見さんの話をテレビに隣で出演していたので軽々しく逸見さんの話はできないと今まで何も語らなかったそうです。

逸見さんを悼むことができるのであれば、と今回の坂上さんのインタビューを受ける決意をされたとか。

家族しが面会が許されない病室で、安藤優子さんは面会が許されて、番組に寄せられた手紙やパジャマを届けたそうです。

亡くなった話を聞いた安藤さんは、自宅にいて、浴槽に湯を張り、顔を湯の中に突っ込んで泣いたそうです。

どうしていいのか分からなかったと、当時を振り返っていました。

逸見さんの葬儀の後、テレビ局を回ったときのレポートの大役を務めたのが安藤優子さん。

安藤優子さんの逸見政孝さんへの思いと涙の理由、真相は?

あれだけの人が、逸見さんのお見送りに出てきたことに対して、どれだだけ愛されていたかが分かるとお話されていた安藤優子さん。

安藤さんご自身の中でも、この人は表現の天才だ!と思ったのは、久米さんと逸見さんのおふたりだけだったそうで、

逸見さんの存在は、恩師であり、とても偉大だったのでしょうね。

逸見政孝さんは、安藤優子さんにとってどんな存在なのですか?との坂上さんの質問に対して、

テレビは本当にその人を映すということを、改めて気付かしてくれたのが逸見さんで、逸見さんの誠実な姿がそのままテレビに映し出されていたとと答えていた安藤さん。

「25年経ってもこんなに悲しい」と涙を見せた安藤さんですが、逸見さんの生き方そのもの自体が、安藤さんのアナウンサー生活の教えになっているのかもしれませんね。

ありのままの安藤さんがテレビに映し出されているのを、逸見さんがどこかで見守っているような気がします。

安藤優子さんの涙の理由は、純粋に逸見さんを失った悲しみだったことが分かりました。

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まとめ

48歳という若さで、亡くなられた逸見政孝アナウンサー。

安藤さんの最後のレポートにもありましたが、「逸見さんは逸見さんに合った速さで人生を走り抜いて行った」のかもしれませんね。

亡くなられて25年も経つのかと思うほど、逸見さんの印象がとても鮮明に残っている人は多いと思います。

今回は私にとっても、とても印象の深かった、逸見政孝さんについてご紹介しました。

私にも逸見さんと同じ病気を患っている家族がいるので、逸見さんの気持ちも、奥様やお子様の気持ちや心の葛藤が重なり記事を書かせていただきました。

偉大なアナウンサーとして、これからも逸見政孝さんは語り継がれていってと願うばかりです。

最後までお読みいただきありがとうございました。

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